脱炭素とSDGsの知恵袋の編集長、日野広大です。私たちのメディアは、ジャパンSDGsの知見を活かし、信頼性の高い情報発信を心がけています。今回は、欧州各地で深刻化する「オーバーツーリズム(観光公害)」の問題を、SDGsの視点から深く掘り下げます。
「あなたたちは来なくていい」。これは、スペイン・マヨルカ島の観光責任者が一部の観光客に向けて放った、痛切な言葉です。かつて観光客を歓迎していたはずの住民が、なぜ今これほど強い拒否反応を示しているのでしょうか。スペインでの抗議デモ、ベネチアでの妨害行為、パリの美術館でのストライキ。これらの現象は、単なる不満の爆発ではなく、私たちの社会のあり方を問う、極めて重要なSDGs課題です。
- なぜ住民は観光客を「拒絶」し始めたのか?
- オーバーツーリズムはどのようにして生まれるのか?
- この問題は、SDGsのどの目標を脅かしているのか?
- 持続可能な観光のために、どのような対策が始まっているのか?
本記事では、欧州の現場からの悲鳴に耳を傾け、観光が「公害」に変わる時、私たちの社会の持続可能性がどのように損なわれるのかを解説します。
なぜ住民は「観光客に来てほしくない」と叫ぶのか?
パンデミックによる静寂の後、「リベンジ旅行」の波が欧州の観光地を襲いました。しかし、それは地元住民にとって悪夢の再来、あるいはそれ以上の苦しみをもたらしています。
- コミュニティの崩壊: スペイン・バルセロナでは、食料品店や衣料品店が観光客向けの土産物屋やレストランに変わり、物価が高騰しました。その結果、多くの住民が「ここは高くてもう住めない」と、生まれ育った街を去らざるを得なくなっています。
- アイデンティティの喪失: イタリア・ベネチアの現在の人口は約4万8000人で、その多くが高齢者です。地元出身のミュージシャンは、「何百人もの観光客に囲まれると、自分が外国人になったように感じる」と語ります。観光客の波にのまれ、住民であることのアイデンティティが失われつつあるのです。
- 生活様式の変化: 格安航空とAirbnbに代表される短期民泊の急増が、季節を問わず365日観光客が押し寄せる状況を生み出しました。これは、単に道が混雑するというレベルを超え、住民の穏やかな日常を根本から破壊しています。
オーバーツーリズムを生む「負のサイクル」
ある旅行業界の大物は、多くの観光地が同じ経緯をたどって過密状態に陥ると指摘します。
- 発見: ツアー業者が、まだあまり知られていない魅力的な「とっておき」の場所を見つける。
- 評判の拡散: 口コミで評判が広がり、格安航空会社が参入する。
- 大衆化: 航空運賃の価格競争が始まり、宿泊施設が不足。住民は短期民泊への投資を始める。
- 変質: かつての「とっておき」は人ごみであふれ、現地にお金をあまり落とさないマスツーリズムの客が多数派になる。
- 移動: 最初にその地を訪れた旅行者たちは、新たな「とっておき」を求めて去っていく。
このサイクルが、地域の文化や環境の許容量を無視したまま、際限なく観光客を呼び込み続ける構造を生み出しているのです。
SDGsの視点から見るオーバーツーリズムの深刻さ
この問題は、持続可能な開発目標(SDGs)の根幹を揺るがす深刻な課題です。
損なわれるSDG 11「住み続けられるまちづくりを」
オーバーツーリズムは、SDGs目標11「住み続けられるまちづくりを」に真っ向から反する現象です。この目標は、すべての人々にとって安全で、強靭で、持続可能な都市や居住地を実現することを目指しています。しかし、観光が住民の生活を脅かし、コミュニティを破壊し、家賃を高騰させて人々を住む場所から追い出しているのであれば、その街はもはや「住み続けられる」場所ではありません。
歪んだ経済成長と不平等(SDGs 8 & 10)
観光は経済を潤す重要な産業ですが(SDGs 8「働きがいも経済成長も」)、オーバーツーリズムがもたらす経済成長は、しばしば歪んだものになります。利益は一部の事業者や不動産所有者に集中し、地元の小規模な商店は廃業に追い込まれます。そして、家賃高騰の最も大きな打撃を受けるのは、もともとその土地に住んでいた人々です。これはSDGs 10「人や国の不平等をなくそう」が掲げる、格差是正の理念にも反します。
持続可能な観光への挑戦:欧州の都市の取り組み
この危機に対し、欧州の都市はすでに行動を開始しています。
スペイン・マヨルカ島のパルマ市では、以下のような包括的な対策を打ち出しました。
- クルーズ船の寄港を1日3隻に制限
- 中心街の集合住宅でのAirbnbなどを禁止
- 市内のホテル収容人員に上限を設定
- 古いホテルを市が買い取り、緑地や住宅地に転用する基金を設立
これらの施策は、「住民本位の観光戦略」を掲げ、失われつつある住民の街への帰属意識を取り戻すことを目指しています。これは、観光客を完全に排除するのではなく、街が許容できる範囲で、住民の生活と文化を尊重してくれる観光客を受け入れるという、明確な意思表示です。
まとめ
「解決策は、観光を拒絶することではない。だれも取り残されない、相手を尊重する観光にすることだ」。ある専門家が語るように、問題の根源は観光そのものではなく、その「あり方」にあります。
この問題は、決して欧州だけの話ではありません。日本の京都や鎌倉など、多くの観光地が同様の課題に直面しています。
私たちに求められているのは、単に多くの観光客を呼び込む「マスツーリズム」から、地域の文化、環境、そして何よりも住民の生活を尊重する「サステナブルツーリズム(持続可能な観光)」への質的な転換です。その地域を訪れる一人の旅行者として、そして持続可能な社会を目指す一員として、この問題を「自分ごと」として考える時が来ています。
執筆:脱炭素とSDGsの知恵袋 編集長 日野広大
参考資料:CNN.co.jp
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