JR中央線グリーン車から学ぶ「終わらせる」サステナビリティ。トレードオフを乗り越える新常識「ダブル・ネガティブ」とは?

脱炭素とSDGsの知恵袋の編集長、日野広大です。私たちの会社、FrankPRは「ジャパンSDGsアワード」で外務大臣賞をいただくなど、サステナビリティ分野での情報発信や合意形成を支援してきました。今回は、2025年3月に導入されたJR中央線のグリーン車を題材に、理想だけでは語れない、これからのサステナビリティの本質に迫ります。

この記事を読めば、以下の点が分かります。

  • なぜ中央線グリーン車はSNSで賛否両論なのか?
  • サステナビリティの現場で必ず発生する「トレードオフ」とは何か?
  • SDGsの次の潮流、「終わらせる」ことで未来を創る「ダブル・ネガティブ」という考え方
  • 企業や個人が、これからの社会で納得感のある選択をするためのヒント
目次

快適さと不公平感の狭間で。JR中央線グリーン車が映し出す「割り切れない現実」

2025年3月、長年の計画を経てJR中央線(快速)にグリーン車サービスが導入されました。SNSでは、「ラッシュ時でも確実に座れて快適」「子連れには救世主」といった歓迎の声が上がる一方、「日中は空席が目立ち、コスパが悪い」「ホームの端まで歩かされる」「2階席から見下ろされているようで不快」など、様々な意見が飛び交っています。

これは単なる新サービスの賛否両論ではありません。快適性や収入源の多様化という「得るもの」のために、これまで当たり前だった「誰もが安価で平等に近い形で利用できる」という価値観が一部「失われる」。この 「割り切れない現実」 こそ、現代のサステナビリティが直面する課題そのものを象徴しているのです。

奇しくも、近年のトレンドを見ると「SDGs」という言葉と共に「持続可能性」という、より本質的な問いへの関心が高まっています(ニッセイ基礎研究所, 2025)。華やかな目標だけでなく、現実の痛みとどう向き合うか。中央線の事例は、その試金石と言えるでしょう。

なぜ「Win-Winは例外」なのか?サステナビリティの現場で起きる2つのトレードオフ

「サステナビリティ」と聞くと、誰もが幸せになる理想的な状態を思い浮かべるかもしれません。しかし、その実現の現場では「Win-Win(全員が得をする)」は極めて稀です。現実には、何かを得るために何かを諦める 「トレードオフ」 の連続であり、その選択には常に摩擦や痛みが伴います。

学術的には、このトレードオフは大きく2種類に分けられます(Haffar & Searcy, 2017)。

H3見出し:何を失うか?成果をめぐる「実質的トレードオフ」

これは、「誰が利益を得て、誰が損をするか」という、成果そのものに関する対立です。

  • 太陽光発電所の建設: CO₂削減には貢献するが、美しい景観や農地が失われ、周辺住民は騒音に悩むかもしれない。
  • 食品のプラスチックフリー化: 環境負荷は減るが、企業のコストは増え、消費者は不便を感じ、商品の価格が上がるかもしれない。

中央線のケースでは、「追加料金を払う人の快適性」と「払わない人も含めた全体の公平性や利便性」がトレードオフの関係にあります。

H3見出し:誰と決めるか?プロセスをめぐる「プロセス・トレードオフ」

これは、意思決定の進め方に関する対立です。

  • 多様な意見の尊重: 全ての利害関係者の意見を聞けば、公平性は高まるが、合意形成に膨大な時間がかかり、計画が前に進まない。
  • 迅速な意思決定: 特定の専門家やリーダーの判断で進めればスピーディーだが、多くの人が「知らないうちに決められた」と不満を抱き、後から大きな反発を招く。

サステナブルな社会を目指すには、この2つのトレードオフから目を背けることはできないのです。

SDGsの次へ。「終わらせる」ことで未来を創る『ダブル・ネガティブ』という新発想

これまでのサステナビリティは、「全てを守り、包摂する」というイメージが強いものでした。しかし最近では、持続可能性を本当に実現するためには、 「何を残すか」と同時に「何を積極的に終わらせるか」をセットで考える必要がある、という議論が本格化しています。

この「終わらせる」決断も含めて持続可能な社会への移行(トランジション)を目指す考え方を、「ダブル・ネガティブ・アプローチ」 と呼びます(Feitelson & Stern, 2023)。

H3見出し:なぜ「終わらせる」ことが重要なのか?

社会には、時代遅れの制度や非効率な慣習が、惰性で「持続」してしまっているケースが少なくありません。これらを「終わらせる」勇気を持つことで、新たな挑戦をするための資源やエネルギー、つまり 「未来への余力」 を生み出すことができるのです。

これは、一方的な切り捨てや排除とは全く異なります。重要なのは、「どのような手続き・対話・補償とセットで終わらせるか」という、公正で透明性の高いプロセスです。

H3見出し:JR東日本のローカル線問題に見る「ダブル・ネガティブ」の実践

この考え方は、すでに現実の経営に活かされています。JR東日本は中央線のグリーン車という新たな投資を進める一方で、利用者が極端に少ないローカル線の収支を公表し、バス転換や廃線を含めた地域交通のあり方を自治体と議論しています。

これは、不採算事業という「ネガティブ」な現実に向き合い、廃線という「ネガティブ」な決断も辞さないことで、会社全体として持続可能な交通網を維持しようとする、まさに「ダブル・ネガティブ」の実践例と言えるでしょう。

企業・自治体に必須の視点。持続可能な合意形成をデザインする3つのポイント

では、私たちはこの複雑なトレードオフとどう向き合い、納得感のある合意を形成していけばよいのでしょうか。その鍵は「戦略的なデザイン」にあります。

Point1: トレードオフの「可視化」と「説明責任」

まず、「何を得て、何を失うのか」「誰が、なぜその負担を負うのか」を、徹底的にオープンにすることです。東証プライム上場企業にサステナビリティ情報の開示が義務化されたように、企業や行政には、トレードオフの構造を社会に説明する責任があります。

Point2: 未来を思う「想像力」と多様な知の統合「コンシリエンス」

目の前の利害だけでなく、将来世代や社会全体への影響を考える「想像力」が不可欠です。また、地方創生で「産官学金労言」の連携が重視されるように、多様な分野の知見を統合する 「コンシリエンス(Consilience)」 という視点が、思わぬ「しわ寄せ」や対立を防ぎます。

Point3: 「社会的インパクト評価」などの客観的ツールの活用

対立を感情論で終わらせないために、客観的な指標も重要です。事業や政策が社会に与える正と負の影響を評価する「社会的インパクト評価(SIA)」や、住民参加で計画を進める「参加型アセスメント」といった手法は、複雑な意思決定を支える羅針盤となります。

まとめ:中央線グリーン車問題から私たちが学ぶべきこと。明日からできるサステナビリティ思考とは

JR中央線のグリーン車を巡る「割り切れない現実」は、これからのサステナビリティの本質を私たちに教えてくれます。

  1. サステナビリティに「絶対的な正解」はない。 常に何かを得て何かを失う「トレードオフ」が存在する。
  2. 「全てを守る」だけでは持続できない。 未来への余力を生むために「何を終わらせるか」を考える「ダブル・ネガティブ」の視点が重要になる。
  3. カギは「合意形成のデザイン」にある。 プロセスを透明化し、説明責任を果たし、多様な人々と対話することで、納得感が生まれる。

中央線の事例に当てはめるなら、グリーン車の収益の一部を、普通車の混雑緩和策や沿線地域の交通課題解決に充当するなど、トレードオフの緩和策を明示することも、社会的な納得感を高める一つの方法だったかもしれません。

「何を残し、何を終わらせるか」。この古くて新しい問いに、誠実に向き合い続けるバランス感覚こそが、これからの時代に求められる本当のサステナビリティと言えるでしょう。


執筆:脱炭素とSDGsの知恵袋 編集長 日野広大
参考資料:

  • Feitelson, E., & Stern, E. (2023). The double negative approach to sustainability. Sustainable Development, 31(4).
  • Haffar, M., & Searcy, C. (2017). Classification of trade-offs encountered in the practice of corporate sustainability. Journal of Business Ethics, 140(3).
  • ニッセイ基礎研究所 研究員の眼「『SDGs疲れ』の空気から考える、本当のサステナビリティ」(2025年7月15日)
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